ぶうたれオヤジの日記

ここはYouTube画像はiframe直リンク不可なので、文章主体にします。

スズメ天国(28)♪

 今日は「森」で播いた。昨日ほどカラスからのデモンストレーション・妨害行動は激しくなかったが、スズメさんたちの数は相変わらず少なく、ピーチクパーチク喧しく鳴き声を上げることもなくもの静かだった。コメを播いても寄りが悪かった。1羽だけ群れからポツンと離れたハトがいたが幸い襲われることもなかった。足環の子も私の依怙贔屓が過ぎて仲間と喧嘩になったりする。仲間外れになることだけは避けなければならないと思っている。

 寝屋川べりでは以前最初に餌播きをした場所に行ってみたら盛大な?「お出迎え」があった。「このオヤジは餌をくれるオヤジだ♪」と覚えていてくれたのだ。
 元々はハトに餌やりをする人もいて鳩の多いポイントであり、カラスも来るのだが、スズメたちはちいさくなって外回りにいる。そこで私は石段から少し外れた場所で、自転車に跨ったままその外回りのスズメちゃんたちにパンやらコメやらをあげたわけである。が、じきハトに嗅ぎ付けられた。

============

*「DNAの乗り物」論であるが、この星では「生命なるもの」は互いに食ったり食われたりの関係、殺したり殺されたりの関係であり、そして個々の命はいつかは必ず終わる。が、DNAは死なない。自分のコピーを作り、コピーはまた更にそのコピーを作って(ときにアレンジを加えて)連綿と連鎖し続ける。・・この存在様式に文学の立場から根底的な批判を加えたのが埴谷雄高著「一冊の書物」即ち『死霊』(「しりょう」ではなく「しれい」と読めと埴谷は指定している。)である。
『死霊』第七章『最後の審判』では「黙狂」で普段は一言も口を利かない矢場徹吾が、他方寝る間も惜しんであちこちを駆けずり回り、瞬間転寝(うたたね)してしまった首猛夫の夢の中に登場して饒舌かつ雄弁に『イエス批判』・『釈迦批判』の議論を展開している。