ぶうたれオヤジの日記

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スズメ天国(7)♪

*以下は唐沢孝一著『都会の鳥 生き残り戦略』からの抜粋です。⇒

 p72〜
 スズメは、収穫の秋になると、集団で水田に飛来し、稲穂をつつく。数十羽、時には数百羽もの大群で稲をつつく。ある資料によれば、鳥類全体でのイネの食害料は年間8,659トン、そのうちの七割に当たる6,021トンはスズメによるものだといわれている。
 主食の米を食害するとなれば、当然のことながら、農家の人が黙認するはずがない。案山子や鳴子といった昔ながらの方法に加えて、最近では、キラキラ光る反射テープを張りめぐらしたり、カラスの死体やタカの模型をぶら下げたりしている。また、ゾラーミサイルという爆発音を用いたり、水田を防鳥網で被ったり、無双網で一網打尽にするなど、あの手この手の対策が講じられている。
 一方有害鳥獣としてのスズメの捕獲許可数は年間100〜130万羽だが、この他に無許可で捕獲しているものも加えると、捕獲実数はさらに多いものと思う。
 (中略)
 1955年頃の中国では、四害追放運動が全土を挙げて展開された。四害とは、ネズミ、スズメ、ハエ、蚊であり、徹底した人海戦術で駆除に当たった。鐘や太鼓を叩いてスズメを追い立て、疲れて落ちてくるまで追いまわすというのである。捕獲数は、なんと年間11億羽を超えたという。
 ところが1960年には、四害追放運動の中からスズメが除外された。スズメの減少に伴い、農作物の害虫が増加し、全国的な凶作に見舞われたからである。(中略)スズメは稲を食べる害鳥であるが、稲の害虫を食べるという点では益鳥でもある。とくに繁殖期には、雛の餌の50〜80%は動物質で占められ、ゾウムシ、ハムシをはじめ、コガネムシ、ヨコバイ、アワフキ、イナゴ、蛾の幼虫などの稲の害虫を捕食する。〜p74.

 この方は『都市鳥研究会』の代表ということで、都市鳥について様々な本を書いている。
 以下彼の記述を参考にして:⇒

(カラスの共食い)

 カラスは車に轢かれたカエル・ネコ・イヌなどの死体を食べる。彼らは都会に於いてハゲタカやハイエナのようなスカベンジャー(死肉処理者)の役割を果たしているのだ。
 大阪城公園にはカラスのライバルたるトビはいない。勢力争いでカラスが勝ったのである。京都や大津市にはトビもいる。
 オオタカはカラスを捕食する。胸の筋肉をひきちぎって食べる。残りカスは他のカラスが持ち帰って食べる。

(スズメの塒=ねぐら)

 人間に不可欠な「衣食住」であるが、そのうち広義に「衣」を解釈すればスズメの「身繕い」などは「衣」のうちに入るかも知れないが、とりあえずは「食」と「住」の確保が、テリトリーを持たない若いスズメたちには極めて困難であるとされている。

 京都御池通は夏・秋の雀(とムクドリ)の集団ネグラとして有名なのだそうだ。本能寺会館の大通りに面したプラタナスなど、スズメは27本のプラタナスに総計6,750羽(平均すると1本につき250羽)、ムクドリは同じ場所に2,400羽が、羽の間に頭を埋めて寝ることが確認されたという。

 博多などの繁華街では「夜でも明るい焼き鳥屋の屋台」のそばが、身の安全を考えたスズメたちのネグラとして選択されているという。

p187〜

 ただし、秋の台風シーズンになると、これらのスズメの大軍が大打撃を受けることがある。
 スズメたちは暴風雨に襲われると、木の枝にとまっているため、吹きとばされ、地面に叩きつけられ、その上、濡れた羽毛のために体力を消耗してしまう。一夜にして、数千羽ものスズメの死体が路上に散乱するという悲惨な結果となる。
 そのスズメの死体の大部分は、その年に生まれた若鳥たちである。縄張りを持てない若鳥たちは、日中には集団で餌をとり、夜も集団で過ごしている。春に繁殖するための縄張りを持っているスズメたちが、人家やビルのすき間などの安全な場所をすみ家にしているのとは対照的である。

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 ↑ もう十年以上前の話になるが、私は台風一過の晴れ上がった朝、住宅街を自転車で通って街路樹の根本のそこかしこに仰向けに横たわっている若いスズメたちの死体を目撃したことがある。
 両目を閉じ足の指は皆しっかり(ジャンケンのグウのように!)握りしめられていた。どこかに潜り込んで風雨を避けることも叶わず、彼らは一様に若い命を散らして行ったのである。なんという儚い命かとそのときは思った。合掌。